唐櫃~芙蓉~
2008.06.07 |Category …小説~唐櫃~
時の移ろいは不思議。
楽しければ、さらさらと過ぎ、哀しければ、ゆるゆると過ぎる。
二人の出逢いから季節が少し駆けて行き、紅葉が色付き初めた頃。
「風っ、風居るかっ?」
少年はぱたぱたと廊下を走り風の部屋の前で急ブレーキをかけると、降ろされた御簾に向かってどこか急かすように呼び掛けた。
「…フェリオさん?どうかなさったんですか?」
「今、ちょっといいか?」
「はい、大丈夫ですが…」
御簾の中から少しためらいがちな声が届く。
何時だったか、出逢って少しした頃にもこんな風に急かすように呼ばれたことがあり、その時風は何事かと慌てて御簾を潜った。
『良いもの見せてやるよ!』
『良いもの?何ですか?』
フェリオは得意げに後ろ手に隠していたものをすっと風の目の前に差し出した。
いつも一緒に走り回っている友人たちは、やるな、さすがと囃立ててくれる。
きっと風も喜んでくれるに違いない。
『ほらっ、蛙捕まえたんだ!凄いだろ!』
『‥っ、きゃああっ』
フェリオの予想を裏切り、風は目の前に差し出されたカエルを見るなり、悲鳴を上げて御簾の中に逃げてしまった。
驚いたのはフェリオも同じで、どうしたのかと問うと御簾の向こうから震えた消えそうな声でカエルに驚いたのだと返ってきた。
せっかく喜んでもらえるかと思ったのに、とフェリオは肩を落とし、同時にそんな弱虫じゃダメだと風にお説教までもしてみせた。
『女の子と男の子を一緒にしてはいけませんよ』
事の一部始終を聞いた姉はやんわりと、そうフェリオに諭した。
女の子は男の子と違って弱い存在で、守ってあげなくてはいけないと。
そして、それ以来は動物を持って行くことはせず、大人しく体一つで訪ねる日々が続いていた。
「…風?」
「あ、はい…今、行きます」
しばらく躊躇っていたものの、フェリオはやんちゃで悪戯っ子なところはあるけれど自分が嫌がることはしない、と不思議な確信に背を押されて風は御簾を潜った。
「良いものやるよ」
「良いもの‥ですか?」
「ほら!」
フェリオはいつかの時と同じように、後ろに隠していた手をすっと風の前に差し出した。
「あ…これ‥」
「やるよ!……この前、驚かせたから…ほら!」
差し出された手の中にあったのは優しい薄紅色をした芙蓉の花。
いつもとは違うどこかぶっきらぼうな口振りと逸らされた視線、そして手の中の芙蓉て同じ色の頬。
風は喜びと今までに感じたことのない小さな鼓動の高鳴りに顔を綻ばせて、差し出された花をそっと受け取った。
「‥ありがとうございます、とても…嬉しいです」
喜びを噛み締めるように、思いがけぬ幸せを味わうようにゆっくりと紡がれた言葉と花と同じ色に染まった頬を見てフェリオは安堵の表情を浮かべた。
何か大切なものが通い合ったような温かさとくすぐったさに、二人は顔を見合わせて照れたように笑い合った。
「最近はあまり本を読んでいないようですけれど…何かあったのですか?」
フェリオと過ごす時間が徐々に増え、母に草子を借りに行くことが減っていた娘を心配して母は娘を部屋に招いた。
母の質問に風は嬉しそうに笑って、心配ないというように首を振った。
「お友だちができたんです」
「まあ、お友達?」
「はい、とても素敵な方なんです」
風は今までフェリオと過ごした時間を母に話した。
男の子の遊びがとても新鮮だということ、カエルに驚いたこと、花をもらったこと、楽しげに話す風とは対照的に、話を聞く母の表情は曖昧な笑みを浮かべていた。
「…お母様は喜んで下さらないのですか?」
母の表情に気付いた風は恐る恐る疑問を口にした。
母はぱらりと扇を開いて口元を隠すと、穏やかに諭すように風に告げた。
「風さん…貴女は姫なのですよ。それは解っていますね?」
「はい。それとフェリオさんに何の関係があるのですか?」
「彼は乳母の子…恐らく元服後はこの屋敷で雑兵として働くことになるでしょう」
「………‥お母様は身分が違い過ぎると仰りたいのですか?」
「貴女は聡い子です。全て解っているはずですよ」
風は扇に隠れて見えない母の顔を悲しみを湛えた瞳で見つめると、俯きぎゅっと手を握りしめた。
「でも…フェリオさんは…」
「風さん、貴女はまだ若い。けれど子どもではないはずです。…よく考えれば一時の好奇心だと解るはずですよ」
そっと告げてしばらく風を見つめた後、母は変わらず扇で表情を隠したまま娘に部屋で休むように告げると御簾の奥へ消えていった。
彼と一緒にいると楽しい。
草子よりも、もっと眩しくて温かい世界に、今まで知らなかった世界に触れられる。
新鮮な発見、喜び、時にびっくりして少し泣いてしまうこともあるけれど、彼と過ごす時間は胸の高鳴りが止まらない。
けれど…この胸の高鳴りは何?
母のいうように新しい世界に触れた高揚感?
或いは‥
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