唐櫃~月明かりの導く先~
2009.02.17 |Category …小説~唐櫃~
月明りが眩しい。
月を眺めて再びぼんやりしだした意識を追い払うように軽く首を振り、弛んでいた気を改めて引き締めるように夜の冷たい空気を大きく吸い込んだ。
あの事件以来会えないままに月日が経った。
事件の後も変わらず、月のない日や雲が味方をしてくれた夜にはあの場所へ向った。
けれどあの少女は来なかった。
何かあったのだろうかと、初めは心配した。
体を壊したのか、俺のせいで怒られて泣いて居るのだろうか、罰を受けて部屋に閉じ込められているのだろうか、一晩中様々な不安が頭を過った。
伝え聞いた話では抜け出したことが知れたために、夜は女房たちが几帳越しに待機するようになったとか。
あの少女は来られないかもしれない。
でも、もしかしたら・・・小さな希望を捨てきれず、通い続けた。
けれど結局あの少女が来ることはなかった。
姉に消息を聞いても今は勉学に励むようにと言うだけ。
もどかしかった。
せっかく自分の気持ちに気付けたのに。
せっかく何か通じ合えたように思えたのに。
『身分が違う』
ただそれだけで会えない現実が納得いかなかった。
何故?どうして?と何度答えのでない問いを自分に課したことだろうか。
元服を過ぎた今、自分の行なったことの重大さに気付く。
やはり怨まれているのか…あの姫に。
それでも忘れられない。
忘れることが出来ない。
未練がましいと解っている。
それでも心が通いあったあの時間が忘れられない。
自分にとっては夢のような時間だった。
本当は夢だったのではないのかと思ったこともあった。
それでも女房たちの噂話に彼女の名前が上がる度にそっと聞き耳を立て、夢じゃなかったんだと胸を撫で下ろし、同時に会えない現実に苛立った。
月が明るい夜は会わない。
二人の間に出来た、今はもう何の役割も果さない暗黙の約束事。
それでも月が明るい夜は気が沈む。
体に染み付いてしまったのだろうか、それとも未練がそうさせるのだろうか。
「…また弛んでる」
警備中に二度もぼーっとしてしまうなどどうかしてる。
気を引き締めるためピシャリと両手で自分の頬をはたき、気を入れなおしたその時、慌てたような気配と共にガタリと背後の門が開いた。
「どうした?」
「野良犬が庭に入ったらしい」
「野良犬が?警備は何をしてたんだよ」
「交代の時に開いた門の隙間から入ったらしい、今日は宴だったから食い物の空気を察したんだろうよ。とにかく、門の警備をひとまず置いて野良犬を探すのを手伝ってくれ」
「解った」
門を潜り走り去る同僚の背中を横目に確認すると、門を施錠し先程の兵とは逆の方向へ走り出した。
野良犬の侵入は知れているのか篝火が焚かれつつあり、廊下をいそいそと歩く女房たちの姿が見え隠れする。
共に兵がついているのを確認すると、中庭の方へと足を向けた。
今日の宴は中庭で行われている。もし取り残されている者が居たら大変だ。
先程より多少走るスピードを上げて中庭へ向った。
「誰か居られますか!」
声を上げてみたものの、大方引き上げたのだろう、傘や敷物は残って居るが人の姿は見当たらない。
辺りをザッと見回し、ここは大丈夫だろうと立ち去りかけた時、微かな気配と衣擦れの音と共に傘の影から人影とか細い声が届いた。
「…あ、あの…」
ひどく弱った女性の声。
一人取り残されていたのだろう、今にも泣き出してしまいそうな震えた声だった。
「ご無事ですか?お怪我は?」
「は、はい…大丈夫…です…」
「良かった、もう心配はいりません、お部屋までお供致します」
「…はい…」
消えてしまいそうな声に答えながら、傘の影に向った。
傘の影にいる声の主は動けないのか、動かないのか、一向に顔を出そうとはしない。
それどころか、こちらが近づく毎に怯えの色を強くしている。
けれど決して逃げ出そうとはせず、懸命に気丈に振る舞おうとしている気配に自然と苦笑がこぼれた。
その時何故かふと、あの少女の顔が頭を過ぎった。
「…風?」
自然とあの少女の名前を呼んでいるのに気付いたのは、傘の影に隠れている女性から戸惑う気配を感じたときだった。
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