唐櫃~私の手、貴方の手~
2008.12.02 |Category …小説~唐櫃~
満月の夜は月の光でなかなか眠れない。
けれどエメロードは、その事を厭わしいと感じなかった。
部屋から通じる狭い縁側から空を見上げ、ほぅ、とため息をついた。
「・・・今宵はいつにも増して、明るい夜ですこと。」
―もしかしたら、予感、だったのかもしれない。
エメロードが部屋に戻ってからしばらくすると、なにやら外が騒がしくなり始めた。
立ち上がって襖を開き、廊下を覗くと遠くの方で警備兵が廊下を横切った事を確認する。
・・・何事でしょうか。
過去にも何度か騒がしい夜はあった。それは主人の命を狙った侵入者で、今宵もそうなのか、と僅かに身を震わせる。
―死からは何も生まれない。
エメロードは胸の前でぎゅっと拳を握った。
すると、先ほど警備兵達が走って行った廊下の方から、今度は小さな足音と人影が2つ現れたのだ。
その姿は暗闇でとても解り難かったが、見知った背格好にエメロードは咄嗟に声をかけた。
「フェリ・・・オ・・・?」
2つの影は一瞬ビクッと背中を震わせると、こちらの様子を恐る恐るうかがってから一つの影がもう一つの影を引いて、エメロードの方へと駆けてきた。
「姉上・・・っ。」
エメロードの前に息を切らして現れた子供は、思った通り、実弟であった。
「どうしたのですか。」
エメロードは膝を折って目線を合わせた。フェリオのただならぬ様子とその小さな手の先で繋がった可愛らしい高貴な存在にこれは…と、眉を潜めた。
「姉上、その・・・、おれ、・・・」
「落ち着いてください。とりあえず、中へ。」
フェリオの汗ばんだ背中にそっと手を当てると、エメロードは自室に二人を促した。
フェリオは言葉を選びながらこれまでの経緯を身振り手振りエメロードに説明した。
闇夜に密かに逢瀬を繰り返していた事、そして今夜は満月だったのにも関わらず、互いが気になり部屋を出てしまった為に、警備兵等に気づかれてしまった事。
エメロードはフェリオがすべてを話し終わるまでただ優しく見つめていた。
「そうですか・・・。」
「姉上、ごめんなさい・・・」
俯くフェリオの隣で風はじっと唇を噛んで座っている。その表情は覚悟を決めている様にもみえた。
エメロードは不安気なフェリオの頭をそっと撫でる。
「あなたはここまで風姫を守ったのです。謝ることなどありません。」
もし、フェリオが風から離れていたら、風は夜遊びを好むふしだらな姫として一生虐げられることになるだろう。風の名誉をフェリオは従者として守ったのだ。例え本人にその自覚がなかったとしても。
「話してくださって、ありがとうございます。」
そう柔和に笑うエメロードに、フェリオは胸の奥にあった不安がふっと消えるのを感じた。
窮地にも関わらず、幼い自分が短時間に状況を説明出来たのは、その間にエメロードがずっと手を握っていてくれたからだろう。
しなやかでいて暖かな手。
実姉の存在を改めて偉大だと感じた反面、大切な人一人守れない自分の幼さに悲しくなった。
表情を何度と変え百面相するフェリオにエメロードはくすりと笑って再度頭を撫でた。
―いつの間に、こんなに男らしくなったのでしょうか。
歳が離れた姉弟であったから、フェリオの世話はエメロードがする事が殆どだった。
その幼かった弟の成長に風が関わっている事を聞かずして理解出来てしまうのは、自分自身にも同じ様な経験があったから。
―私は叶わぬ恋だったけれど
貴方には幸せになってほしい。
エメロードはフェリオから手を離すと、エメロードは座り直し、二人をじっと見つめた。
「風姫、これから私と共に部屋へ戻っていただきます。」
「え!?」
「待って下さいっ!姉上!それでは風が―」
「大丈夫です。姫はまだ幼女。私が説明すれば、夜分部屋を抜け出した事は許して頂けますわ。」
エメロードの美しさと聡明さに家主は一目を置いていた。だからこそ侍女であるにも関わらず、個室を与えられているのだ。その姉が交渉するという。
凛とした瞳を向けられ、二人は反論の言葉を飲み込んで、口をつぐんだ。
少しして、フェリオが言う。
「俺は・・・どうすればいいですか。」
「貴方もすぐ部屋に戻り、明日から、しっかりと勉学に励んでください。いいですね?」
納得のいかない、といった表情のフェリオの両手をエメロードは取った。
まだ小さな暖かい手を、細く白い手で包む。
「大丈夫。私を信じてください。」
エメロードの真剣な眼差しと言葉に、フェリオは隣の風を見た。
視線を交わして、フェリオがたどたどしく微笑んでみせると、風もつられて笑顔になる。
それからフェリオはエメロードに視線を戻して姿勢を正すと、はい、と頷いた。
幼き武士の逞しい返事にエメロードはただ、優しく笑顔を送った。
それから・・・-
****
ひんやりとした秋の風が頬を過ぎる。
青年は、すっと瞼開いて空を見上げると、先程と差ほど変わらぬ月がそこにあった。
左腰の太刀に軽く手をかけ、当たりを伺う。
青年は今、屋敷の扉を背に立っていた。
―・・・たるんでるな。
一瞬だったとはいえ、警備中に意識を無くした失態に青年となったフェリオは自嘲した。
あれは、現実に起きた悪夢。
繰り返し見てしまうのは、今も、怨まれているからだろうか。
- 誰に?
そう自分に問うて、ふと、月に照らされた紅葉が目に入る。
あまりに優美で嫌気がした。
あれから季節は何度も移り変わり、流れた月日は6年。
それは同時に、大切な実姉を失ってからの長い時間を示していた。
fin
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